History 文化センター年表
1956
石橋マラソンコース(文化センター正門前から吉井保健所前折り返し)、日本陸上競技連盟の公認を受ける。

50メートルプールが、日本水泳連盟の公認を受ける。
石橋文化センターの開園に先立ち、運営を担当する久留米文化振興会(当時は任意団体)が発足。
石橋文化センター開園。株式会社ブリヂストンの創業者である石橋正二郎氏より会社創立25周年を記念して久留米市に寄贈。
【寄贈された施設】 美術館、体育館、文化会館(木造)、50メートルプールと観覧スタンド、野外音楽堂、テニスコート、児童遊園地、ペリカンプール、洋風庭園、ミロのヴィーナス像、「みどりのリズム」など敷地面積約30,361平方メートル。
【入園料】1人10円
【寄贈された施設】 美術館、体育館、文化会館(木造)、50メートルプールと観覧スタンド、野外音楽堂、テニスコート、児童遊園地、ペリカンプール、洋風庭園、ミロのヴィーナス像、「みどりのリズム」など敷地面積約30,361平方メートル。
【入園料】1人10円





子供たちのために、ペリカン噴水をプールとして解放。
市民プールが完成するまでの20年間「ペリカンプール」として親しまれる。
市民プールが完成するまでの20年間「ペリカンプール」として親しまれる。

久留米市は石橋正二郎に名誉市民の称号を贈る。
1957
久留米動物友の会の協力で6羽のこぶ白鳥を購入し、白鳥の池に放つ。


久留米バラ会の篤志により750本のバラを園内に植栽。翌年には、さらに1450本が植えられ、現在のバラ園の礎を築いた。

「開園1 周年記念式典」29日まで各種の記念行事を開催。

「第9回日大対全九州水上競技大会」で日大の石本選手が100メートルバタフライで世界新記録を樹立。

1958
クジャク放鳥
三本松動物園から親鳥2羽と1歳鳥9羽が文化センターに移され、憩の森に放鳥された。憩の森には40坪のクジャク舎が完成。
三本松動物園から親鳥2羽と1歳鳥9羽が文化センターに移され、憩の森に放鳥された。憩の森には40坪のクジャク舎が完成。



久留米市東部発展期成会は、東町の国道3号交差点から御井町バス停までを「文化センター通り」と改称することを決定。

1959
「第1回市民に贈る納涼音楽会」が開催される。プールサイドにおいて、西日本で初めて90名編成のブラスバンド演奏会を開催。出演は、当時、全国でもトップレベルの音楽隊であった「陸上自衛隊熊本西部方面音楽隊」「福岡第四管区隊音楽隊」「久留米第四特科連隊音楽隊」の3音楽隊であった。以後1967年迄、夏の恒例行事となる。

1961
「開園5周年記念式典」を200余名の来賓が列席して挙行。


ブリヂストンタイヤ副社長石橋幹一郎が、石橋文化ホールと石橋文化会館を久留米市に建設寄贈する計画を発表。

1962
石橋文化ホール、石橋文化会館建設地鎮祭
ブリヂストンタイヤ株式会社副社長石橋幹一郎、杉本久留米市長、設計者・菊竹清訓など200名が列席。午前11時30分から行われ、神事の後、石橋幹一郎副社長がクワ入れ、杉本久留米市長がクイ打ちを行った。
ブリヂストンタイヤ株式会社副社長石橋幹一郎、杉本久留米市長、設計者・菊竹清訓など200名が列席。午前11時30分から行われ、神事の後、石橋幹一郎副社長がクワ入れ、杉本久留米市長がクイ打ちを行った。



1963
財団法人久留米文化振興会設立発足。
石橋文化ホールと石橋文化会館完成。
石橋正二郎氏より久留米市に寄贈。石橋文化ホール客席数1,092席。こけら落としの記念行事は、開館初日の九州交響楽団特別演奏に始まり16の事業を開催。石橋文化会館には、レストランや結婚式場が開場。
石橋正二郎氏より久留米市に寄贈。石橋文化ホール客席数1,092席。こけら落としの記念行事は、開館初日の九州交響楽団特別演奏に始まり16の事業を開催。石橋文化会館には、レストランや結婚式場が開場。


1964
テニスコート跡地に豆自動車コースを開設。
遊園地事業のスタート。
「みんなで飾ろう七夕祭」をペリカンプール周辺で開催。
遊園地事業のスタート。
「みんなで飾ろう七夕祭」をペリカンプール周辺で開催。

「石橋文化センターニュース」創刊。
B6判4 ページ、毎月1回1日発行。21号から16ページに。
B6判4 ページ、毎月1回1日発行。21号から16ページに。

東京オリンピックを祝して、プールスタンドに模擬聖火台を設置。

1965
ペリカンプール東側花壇に花のメリーゴーランドが完成。

防衛庁より海難救助用のT-6G型飛行機「まつかぜ号」の貸与を受け、遊園地に展示。

1966
開園10周年を記念し、財団法人石橋財団よりミュロンの傑作といわれるギリシャ古典彫刻「円盤投げ」(1.5mブロンズ像)が寄贈され、体育館西側に設置。
「石橋文化センター開園10周年記念式典」を挙行。


ブリヂストンよりタイヤを組み合わせたロボットの寄贈を受ける。
9月23日には子供たちの応募で「タボットくん」と命名。
9月23日には子供たちの応募で「タボットくん」と命名。


1968
皇太子同妃両殿下(当時)が文化センターへ行啓。



文化ホール開館5周年記念「安川加寿子ピアノ独奏会」を石橋財団から寄贈されたスタインウェイのピアノ開きとして開催する。
久留米音響合唱団第5回定期演奏会。
母なる川をテーマにした合唱組曲「筑後川」( 作曲・團伊玖磨、作詞・丸山豊) を初演。
その後合唱コンクール等でも取り上げられ、全国的に愛唱される。
母なる川をテーマにした合唱組曲「筑後川」( 作曲・團伊玖磨、作詞・丸山豊) を初演。
その後合唱コンクール等でも取り上げられ、全国的に愛唱される。


1969
文化センター内に日本庭園を建設し、久留米市に寄贈することを発表。
1970
野外音楽堂を取り壊し、日本庭園工事始まる。
1971
日本庭園の寄贈式を石橋正二郎や近見久留米市長ほか、関係者100名が列席し、新築落成の楽水亭で挙行。


1972
石橋正二郎の私財と設計により、1970年から工事が進められていた日本庭園はようやく完成し、石橋幹一郎から近見市長へ日本庭園の寄贈目録が手渡された。21日には、日本庭園完成記念市民無料招待。打ち上げ花火を合図にブリヂストン吹奏楽団パレードや筑後児童吹奏楽団の演奏が繰り広げられた。


1973
石橋文化ホール開館10周年を記念し、石橋幹一郎ブリヂストンタイヤ株式会社会長からエレクトーンとトーンキャビネットの寄贈を受ける。
1976
寄贈者である石橋正二郎逝去。
享年87歳。
享年87歳。

1977
文化センターの入園料を無料化し、石橋美術館の運営を財団法人石橋財団に移管。
入園無料化を記念して、美術館の「市民招待鑑賞会」10 日まで。
入園無料化を記念して、美術館の「市民招待鑑賞会」10 日まで。
鳥類センターに市民プールが開場したことにより、今夏からペリカンプールの使用を停止する。
開園以来21年間にわたり、各種スポーツ大会や市民の卓球場として親しまれてきた体育館は、市民図書館建設のためにこの日を最後に閉館。






遊園地は図書館建設のためこの日より閉場。
遊具施設は鳥類センターへ移設。
遊具施設は鳥類センターへ移設。
1978
「石橋美術館増改築落成式」を挙行。

開園以来設けていなかった休園日を毎週月曜日と定める。ただし園内庭園は休日も開放。
日本庭園の楽水亭に「和風喫茶・楽水亭」を開店。
日本庭園の楽水亭に「和風喫茶・楽水亭」を開店。

久留米市民図書館が完成。
1979
文化ホール・文化会館増改築工事竣工。文化ホールは座席の交換、身障者席及び通路などを新設。文化会館2階には小ホール、研修室、会議室、和室に改装。1階にはテナントの「ウエスト」が出店。楽水亭前に四阿風休憩所を新築。自動販売機コーナーと梅ヶ枝餅販売コーナーを設置。



1980
坂本繁二郎画伯アトリエの移転・復元が終わる。

1981
石橋文化センター・石橋美術館「創立25周年記念講演会」

1984
文化会館1 階改築工事が完了。1982年8月末でのテナント撤退後、1階を市民サークル等の活動の場を提供する貸室として使用するために改装。無料休憩室、展示会室(2室)、会議室(2室)を新設。
1985
文化センター共同ホール(久留米共同福祉施設)が完成。


1986
石橋文化センター開園30周年。
石橋文化センター開園30周年記念「‘86 子どもフェスティバル」開催。
文化ホールや園内で多彩な催し。
文化ホールや園内で多彩な催し。

1987
開園30周年記念演奏会「ピアノ三人展」を文化ホールで開催。

1988
文化会館1階に市民サロンと市民ギャラリーを開設。


1989
「石橋文化センターニュース」を12年2か月ぶりに復刊し、「みどりのリズム」と命名。B5判4ページ。
石橋正二郎顕彰会が設立され、石橋文化ホールで「正二郎生誕百年祭」を開催。
センタープール(50mプール)がプールスタンドを撤去しリニューアル・オープン。

1990
世界つつじ園2期工事竣工。

1992
文化会館1階の市民サロンに「久留米文化情報センター」を開設。
会場利用申込み受付事務も1階へ移動。
会場利用申込み受付事務も1階へ移動。

1993
美術館別館建設のため、センタープール閉場。

1994
石橋文化センター友の会みゅ~ず倶楽部発足。

1995
プール跡地に建設された石橋美術館別館竣工寄贈式。
石橋幹一郎氏より久留米市に寄贈。
石橋幹一郎氏より久留米市に寄贈。


1996
「開園40周年記念事業」を開催。

「開園40周年記念バラフェア」開催。
以後毎年開催し、石橋文化センターを代表するイベントとなる。
以後毎年開催し、石橋文化センターを代表するイベントとなる。
1997
石橋幹一郎逝去。
1998
石橋文化ホール改修工事のため9月30日まで休館。
石橋文化ホールリニューアルオープン
2002
ペリカン噴水周囲レンガ、歩道敷き替え工事


石橋文化センターホームページ開設。
2006
石橋文化センター「シンボルマーク」発表。

カフェ&ギャラリーショップ楽水亭リニューアルオープン。



石橋文化センター開園50周年。「開園50周年記念式典」を園内 憩の森にて挙行。
「メモリアル展」を美術館1階ギャラリーにて30日まで開催。
「メモリアル展」を美術館1階ギャラリーにて30日まで開催。




開園50周年記念「シティパレード」を開催。六角堂広場にてオープニングセレモニー後、ブリヂストン吹奏楽団久留米を先頭に陸上自衛隊久留米駐屯地音楽隊、信愛女学院吹奏楽部、久留米市消防音楽隊が文化センターまでパレード。









2007
坂本アトリエ工事竣工、久留米市へ寄贈
2009
石橋文化センター創設者の石橋正二郎氏生誕120年を記念して、石橋美術館にて特別展「PASSION―石橋正二郎生誕120年を記念して」開催。
7月5日までの67日間の会期中、37,885人(1日平均565人)が来館。
7月5日までの67日間の会期中、37,885人(1日平均565人)が来館。

2010
久留米市で開催された2010年国際ツバキ会議において、石橋文化センターつばき園が「国際優秀つばき園」に認定。

2011
公益法人移行により、公益財団法人久留米文化振興会となる。
2013
石橋文化ホール開館50周年を迎える。
耐震補強工事のため、石橋文化ホール・文化会館は2014年3月31日まで休館。
久留米文化振興会事務局はリハーサル棟に設置。
久留米文化振興会事務局はリハーサル棟に設置。
2014
石橋文化ホールリニューアルオープン。






2015
スイレンの池周辺改修工事を実施。「睡蓮とバラの庭」として新たなバラスポットとなる。



2016
みどりのリズム像修復完了。

石橋美術館として最後の展覧会となる特別展「石橋美術館物語 1956 久留米からはじまる。」を開催。8月28日までの52日間の会期中、27,756人(1日平均534人)が来館。

ミロのヴィーナス像修復完了。


石橋美術館の運営が公益財団法人石橋財団から久留米市に移行。久留米美術館へと名称が変更される。
久留米市美術館並びに石橋正二郎記念館改修工事完了。
久留米市美術館の開館記念式典、内覧会、レセプションが開かれる。


久留米市美術館並びに石橋正二郎記念館開館。


2017
友の会制度をリニューアル。美術館入館年間フリーパスの特典がついた「ミュージアム会員」と「スタンダード会員」の2区分に改編。
2018
久留米シティプラザ内に「石橋文化センター情報サテライト」を開設。情報サテライトでは、石橋文化センターや久留米市美術館の情報を発信するとともに、久留米シティプラザで開催される催しのチケットも販売し、市民の利便性向上を図る。
2019
石橋文化会館の外壁を改修。美術館等と調和がとれた外観に変わる。

2022
園内全域で屋外イベント用電気設備工事を実施。
美術館搬出入口棟(トラックヤード)完成。大型エレベーターなどを備えた搬出入口棟が完成したことにより、天候に左右されず作品をより安全に運搬することができるようになった。
